母とした議論の残骸(創作と欲求・言葉の正確さ等)

2020/9/24

なぜこの記事が残骸であるかというと、議論していた時の熱を失った現在では

結局考えの集約しかできないからである。この記事はその過程が描かれていないが、

​それでもよければ読んでみてくれ。

創作と欲求について

僕がゲームを作りたいのは創作意欲があるからであろうが遊んでもらいたいのは

承認欲求も関係しているだろう。それで遊んでもらうには公開する必要があるが、

不完全な状態のモノを公開したいとは思わない。だが欲求は適度に解消すべきだ。

だから進捗をSNSにアップすることで承認欲求の溜めすぎを防ぐのだろう。

だが、世の中にはそうでない人間ももちろんいる。うちの祖母は手芸が得意で、

絵はがきもやっていたことがあった(飽きてやめたようだが)。だがそれを誰かに

見せびらかそうとはしない。おそらくそれは承認欲求よりも何かを淡々と続けることで

何らかの欲求を解消できるからであろう。まあつまり何かを作るのは創作意欲以外の

​何かの欲求によってどのようなスタイルで創作するかが異なるという話。

言葉の正確さ(読書とGoogle先生)

時々自分が何となく使っている言葉の使い方が合っているか不安になってくる。

読書で言葉の意味を知るのは、赤ちゃんが言葉を覚えるのと変わらずどういう場合に

使われているか理解することでできる。一回見ただけの言葉はあまり正確な意味は

分からないが、たくさん読書して多くのシチュエーションでの使用例を知れば

​言葉を様々な角度から見てより正確に知ることができる。だがそれはあくまで

ニュアンスの積み重ねでしかなく、記事を書く際などでは不安が残る。

そういう時に手軽かつその言葉について直接知れるGoogle先生は偉大という話。

​(もちろん辞書を引いた方がより良いだろう)

常識に対するアインシュタインの見方

アインシュタインの言葉に

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

というものがある。これは世の中で常識とされていることはあまり根拠を持たず、

実際には蔓延している先入観であるというような捉え方ができる。

(もちろん常識と言われていることの全てがそうと言いたい訳ではないだろう)

自己中心的であったり自己肯定感が強いことなどは嫌われる傾向にあるが、

実際になぜそれが悪いことなのか説明できる人はどれぐらいいるのだろう?

それらを良くないと主張する人は実はただ単なる嫌悪感情から主張しているだけ

​かもしれないと思っている。

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